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年 | 月 | 大阪市中央卸売市場本場のうごき | 世の中のうごき | 昭和20年 | 3月 | 空襲により木津・天満分場焼失(5月廃止) | アメリカ軍沖縄本島に上陸 |
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6月 | 本場一部被害 | ||
8月 |
広島に原子爆弾投下さる ソ連宣戦、日本無条件降伏 |
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9月 | 生活物資局廃止され経済局の1課となる | ||
11月 | 鮮魚・青果物の価格及び配給統制撤廃 | ||
12月 | 国家総動員法関係の統制法令廃止 | ||
昭和21年 | 2月 |
鮮魚介の廉売制実施(3月12日迄) 蔬菜の廉売制実施(5月30日迄) |
第一次農地改革実施 食糧緊急措置令公布施行 |
3月 |
物価統制令公布施行、旧円停止 青果物・水産物統制令施行 |
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4月 |
東部分場の事業を休止 青果物荷受機関の複数制発足 |
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5月 | 食糧危機について天皇放送 | ||
8月 | 大阪市場冷蔵株式会社と改称し経営を一元的に行なわしむ | ||
9月 | 臨時物資調整法公布 | ||
11月 | 日本国憲法公布(22年5月施行) | ||
昭和22年 | 4月 |
独占禁止法公布(7月公布) 生鮮魚介配給規則公布施行 |
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5月 |
鮮魚荷受機関の複数制発足 連合青果株式会社設立 |
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7月 | 加工水産物配給規則公布(8月施行) | ||
9月 | 中央青果株式会社設立 | 蔬菜および漬物配給規則公布(8月施行) | |
10月 | 果実類の配給統制と公定価格の廃止 | ||
11月 |
大阪青果物統制会社が大阪青果市場株式会社と株式会社大果に分立する 魚類統制会社は大阪魚(後の魚市)・大阪水産物(後の大水)・大阪海産物の各株式会社に分立する。 |
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12月 |
民法改正に伴う中央卸売市場法一部改正(法律第223号) 食品衛生法公布(23年1月施行) |
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昭和23年 | 3月 | 鮮魚・蔬菜・加工水産物・漬物などの小売自由登録制実施 | |
4月 | 荷受機関の卸売手数料を3分から5分に引き上げる | ||
5月 | 高級魚の公定価格撤廃 | ||
8月 | 高級魚全面的に統制廃止 | ||
10月 |
本市場業務規程(市条例第75号)制定 果実仲買制度復活 中央卸売市場価格日報を復活発行 |
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12月 | 中央漬物株式会社ほか漬物部卸人として許可 | ||
昭和24年 | 3月 | 漬物仲買制度復活 | |
4月 |
本場に衛星組合設置 東部分場の業務停止 |
ドッジ公使経済安定計画を提示 為替360円レート決定 |
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5月 |
野菜仲買制度復活 中央乾物株式会社が乾物卸売人として許可さる 市場協会を発展的に解消し中央倶楽部を創立(9月3日発会式) |
水産物配給制度を変更し希望配給制を実施 | |
11月 | 大阪青果株式会社ほか各社青果部卸売人として許可さる | ||
昭和25年 | 4月 | 大阪市水産物仲買組合 設立 | 水産物統制撤廃 |
5月 | 水産物仲買制度復活 | ||
6月 | 大丸青果株式会社が青果部卸売人として許可される | 朝鮮動乱起こる | |
7月 |
大阪市水産物仲買協同組合に改称(7/11)
大阪鶏卵販売株式会社が鳥卵部卸売人として許可さる |
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8月 |
株式会社大水ほか水産物卸売人として許可さる 本市場事務章程改正され管理・業務の二課を置く |
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9月 | ジェーン台風来襲、本市場4日間休業 | ||
11月 | 日本合同乾物株式会社が乾物部卸売人として許可さる | ||
昭和26年 | 3月 | 中央冷蔵株式会社第二冷蔵庫竣工 | |
5月 | 南部分場の3社が青果部卸売人として許可さる | ||
6月 | 計量法(メートル制)公布(27年3月施行) | ||
8月 | 株式会社大乾が乾物部卸売人として許可さる | ||
9月 | 対日講和条約・日米安全保障条約調印 | ||
昭和27年 | 1月 | 韓国李承晩ライン発表 | |
3月 | 本場に取引改善委員会結成 | ||
昭和28年 | 3月 | 南部分場に三和青果株式会社設立 | |
4月 | 中央冷蔵株式会社第三冷蔵庫竣工 | ||
11月 | 中央卸売市場卸売人の整備統合について通達 | ||
昭和29年 | 1月 | 東部分場(東部市場)の建設計画発表 | |
3月 | いわゆる原爆マグロ入荷 | アメリカ、ビキニ環礁で水爆実験・第五福竜丸事件 | |
5月 | 青果物車置場階上事務所竣工 |